その474 書斎 2017.12.21

2017/12/21

この秋、荒川区にある吉村昭文学記念館を訪ねた。
最寄駅から歩いてみたが、雨の降る中で道を間違えたらしく、
東京23区の地図を見ながら少々遠回りすることになった。
今どき地図の本を持って街を歩いている人はほとんどいないが、
コンパスと地図で到達すると、自分でたどり着いた実感がする。
コンパスを持って歩いている人はもっともっと少ないが、
スマホを頼りにあっちに行って、ここで曲がって、と到着すると、早く着いても連れて行かれた感じがする。
吉村昭氏は自分の足で歴史の現場を回って原稿用紙に向かった人。
その人の記念館に向かうに、少々の歩きはふさわしいかろう。

 

「ゆいの森あらかわ」という図書館の中に氏の文学記念館はあった。
生い立ちや文学を志してからの軌跡が解説され、多くの自筆原稿も展示されていた。
万年筆でとても几帳面な字で書かれてあった。
あまり筆は速くなく、「原稿料と出来上がる枚数を考えると、普通のアルバイト仕事の方が割が良い」
という意味のことをある文章で書いておられる。

 

吉村氏は何度も芥川賞候補となっているが、受賞には至っていない。一度は悲劇が起きた。
氏の「透明標本」と他の候補作一作で議論が分かれ、
二作受賞という空気になった時、事務局が氏に受賞の連絡を入れた。
喜び勇んで銀座の文芸春秋社に到着すると、すぐに異変に気が付いた。
欠席していた選考委員から電話で投票が入り、氏の作品は落選となっていた。
後に、「落ちたのも新しい出会いも運。時間が過ぎると落ち着くところに落ち着く。」と語ったそうだ。
(文芸春秋2018年1月号による。)

 

この事件の数年後にベストセラーとなる戦艦武蔵を書き上げ、戦史小説、歴史小説、記録文学へと道を開いていく。

 

私は学生の頃は、人並みに小説を読んでいたが、卒業してからは忙しさにかまけてあまり読まなくなった。
他人の作った虚構の世界にわざわざ入ろうという気が起らなくなったのだ。
しかしある時、高知県外の方が坂本龍馬を主人公とするミュージカルを作るという講演を聴く機会があった。
自分が高知県人なのに坂本龍馬について、漠然としたイメージしか持っていないのは恥ずかしいことだと思った。
それから司馬遼太郎の「龍馬が行く」を始めとして、歴史ものの小説を中心に読み続けることになった。

 

司馬氏の作品と題材は同じであっても、吉村氏の作品は味わいが深い。
海の史劇、桜田門外の変、冬の鷹など、多くの文庫本が私の小さな書棚に並んでいる。

 

吉村昭記念館には、ご自宅から一部移転して再現された書斎もあった。
大きな一枚板の机の上や左右、後ろの壁が書棚となっていて、
歴史関係の書籍や地方自治体の市史などがずらりと並んでいる。
ご自宅に机があった時、きっと窓から入る光は柔らかく、
取材の旅から帰ると、すぐに集中して執筆にとりかかられたのだろう。

 

私の机は、デスクトップのパソコン(アップルのパフォーマって古いね)を購入したときに、
ついでに買った組み立て式の机だ。
北向きの窓からそこそこの光は入るが、この文章をまとめるのに1ケ月以上かかってしまった。
この小さな書斎から、オジサンの独り言が時々生まれる。